最新更新日:2022/09/13
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ホームページを移転いたします。二本松市の新しいホームページhttps://www.city.nihonmatsu.lg.jp/school/page/page000025.htmlへご移動をお願いします。

☆旧校舎と新校舎(現校舎)の写真

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 本校の校長室には、上のような旧校舎と新校舎(現校舎)の写真が飾ってあります。この写真は、昭和54年に「故 大内英雄 様」(藤町の大内理美容院全店主様)に撮影していただき、学校に寄贈していただいたものです。
 こののち旧校舎は取り壊され、現在の校庭となりましたが、新旧二つの校舎が同時に写っている大変貴重な写真です。

※ 写真の左下にあるテレフォンカードは、平成9年に創立50周年記念事業を行った際の記念品です。このテレフォンカードにもこの写真が使われています。

感嘆符 ◇小浜中学校校歌制定の由来◇〜校歌には先人の熱い思いが込められています!

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 校長室に、上の写真のように◇小浜中学校校歌制定の由来◇が記された額が掲げてあります。記された文章をよく読むと、校歌制定に相当な努力と苦労があったことが想像されます。校歌には先人の熱いが込められています。
 掲額された文章は次のようになっています。(原文そのまま)
 先人の熱い思いを感じ取っていただければ幸いです。
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    ◇小浜中学校校歌制定の由来◇

 小浜中学校は、昭和22年5月1日に創立された。
 その後、昭和29年にいたり、当時第2代校長であった鈴木三郎先生、代五代PTA会長であった松本善志智氏を中心として、校歌制定の機運がもりあがり、生徒会・PTAの努力と協力により、昭和30年2月5日に制定された。
 作詞は、当時鈴木三郎と昵懇の間柄にあった福島大学教授源後三郎(国語科担当)に直接依頼した。源後先生は、わざわざ来校され、学校周辺を視察、特に日渉園を歩かれ、歌詞の構想を練ったという。
 源後先生による詩の完成をまって、作曲を古関裕而先生に依頼することになるが、そのいきさつは次の通りである。
○当時、日本歌謡界のトップ・スターであった歌手伊藤久男氏は、本県安達郡本宮町の出身であり、小浜中PTA会長松本善志智とは従弟の関係にある。
○伊藤久男氏は、古関裕而先生の歌を数多く歌っており、両者の関係はきわめて親悠である。
―以上の理由から、PTA会長松本氏は、甥の伊藤衆三氏(本宮町大天狗酒造会社社長・伊藤久男氏を介して古関先生に作曲を依頼しようということになった。ところが、伊藤久男氏から「私よりも、もっと古関先生に近い人がいる。その人を通してお願いしたらどうか。」と云うアドバイスがあった。その人とは伊藤五郎氏(先述の伊藤衆三氏の弟・東京在住・医師)の婦人で、当時NHK混声合唱団の団員であった。松本善志智氏は、伊藤五郎氏夫妻の紹介を得て、古関先生とのつながりができ、正式に作曲を依頼する運びになった。完成された曲は、鈴木三郎先生のたっての要望で、荘重で格調高く他にその比をみないものであった。
 右の写真(コピー)は、伊藤五郎氏の案内で、鈴木三郎校長夫妻、松本会長が古関先生宅を訪問し、作曲を依頼したときのものである。(月日不詳)
因みに、謝礼は源後先生に1万円、古関先生に5万円を差しあげた。この基金は、生徒会あげていなご取りに取りくみ、その収益金があてられた。


    ◇作詞者・作曲者のプロイール◇

源後三郎先生 明治40年10月25日生まれ、安積郡富久山町(現在郡山市富久山町)に生まれる。検定試験で教員の資格をとり、小学校の先生―女学校の先生(会津女学校)―師範学校の先生―福島大学教育学部教授となる。詩に長じ、県内各地の校歌の作詞を手がけた。昭和46年福大在職中に逝去された。小浜中学校校歌を作詞したのは47歳のことである。

古関裕而先生 明治42年8月11日生まれ、福島市出身、昭和3年福島商業卒業後状況。作曲家山田耕作氏に師事音楽の勉強に励む。1949年英国作曲コンテストに応募して入選、これを機にめきめき頭角を現わし、日本トップの作曲家となる。現在日本作曲協会の理事。代表作(戦前)船頭可愛や(戦中)紺碧の空、暁に祈る、空の神兵、若鷲の歌、(戦後)鐘の鳴る丘、東京オリンピックマーチ(1964年)等 現在78歳東京世田ヶ谷在住、浜中校歌作曲当時は46歳であった。
(昭和63年3月・第10代校長中澤剛太郎読)
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 本校のこどもたちに、この校歌制定の由来について話をし、小浜中の伝統と誇りをしっかり受け止め継承させたいと思います。子どもたちの校歌を歌う気持ちや姿勢が変わると思います。
 なお、上記の◇小浜中学校校歌制定の由来◇については、トップ右側の<配布文書一覧>の【同窓会関係】にも掲載してあります。

保健委員会による清潔検査の実施

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 11月15日(火)に保健委員会による清潔検査を実施しました。検査の結果はグラフのように、全校生110名中、手の爪が伸びている生徒が9名、ハンカチを持っていない生徒が18名、ティッシュを持っていない生徒が15名、朝歯磨きをしていなかった生徒が2名でした。
 現在本校では、インフルエンザなどの感染症予防のためうがい、手洗いに全校生徒で取り組んでいます。手を洗っても手をふくハンカチがなければ意味がありません。また、ティッシュを持っていないためにトイレットペーパーで鼻をかむ生徒もいます。
 保健委員会でもハンカチやティッシュの持参を呼びかけましたので、ご家庭でも一声かけていただければ幸いです。

いつも綺麗に整理された子どもたちのロッカー

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 どの時間帯にどのクラスを訪問しても、クラスの後にある子どもたちのロッカーは、いつも綺麗に整理されています。当たり前のことですが、当たり前にきちんとできるところが、小浜中の素晴らしいところです。(笑顔)

全学年の無遅刻記録更新中!(笑顔)

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全学年で無遅刻運動を実施していて、無遅刻記録は今日も継続中です。
 本日で、第1学年は◇123日◇(2011年4月6日スタート)、第2学年は◇140日◇(2011年2月9日スタート)、第3学年は☆517日☆(2009年4月7日スタート)となっております。
 全学年の記録更新に大いに期待したいと思います。(期待)(笑顔)

小浜中学校沿革史を掲載〜小浜中の歴史がわかります

 小浜中学校沿革史を掲載しました。小浜中の歴史がわかりますので、ぜひご覧いただきたいと思います。
 詳細につきましては、トップページ右側の<配布文書一覧>の【同窓会関係】をご覧ください。

太陽の光を背に受けて元気に登校〜「マスク・帽子」着用率100%継続

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 子どもたちは、太陽の光を背に受けて今日も元気に登校しました。まるで、子どもたちに後光が差しているようです!?(笑顔)
 本校では、子どもたちの放射性物質による内部被ばくをできるだけ軽減するために、マスク・帽子の着用を励行しています。本日もマスク・帽子の着用率が100%でした。今後も子どもたちの安全安心のために、マスク・帽子の着用を励行するよう指導していきたいと思います。

校舎周辺は一面◇霜◇

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 今朝の冷え込みはかなり厳しいものでした。校舎周辺は一面◇霜◇で、垣根にも真っ白な霜があります。冬将軍がだんだんと近づいているのを感じます。

感嘆符 小浜中学校校歌♪メロディ♪がお聴きいただけます!

 小浜中学校校歌♪メロディ♪が、ホームページでお聴きいただけるようになりました!
 トップ右側にある<配布文書一覧>の【同窓会関係】の中の『小浜中学校校歌メロディ♪』をクリックいただきますと、♪メロディ♪が流れます!♪
 ただし、お聴きいただくためには「Windows Media Player」が必要ですので、パソコン内に無い場合は、「Windows Media Player」をダウンロードしていただきたいと思います。

感嘆符 小浜中学校校歌を掲載

 小浜中学校校歌(作曲:源後三郎、作曲:古関裕而)の楽譜を掲載しました。トップ右側の<配布文書一覧>の【同窓会関係】をどうぞご覧ください。

文化部の子どもたちが制作した『ちぎり絵』を生徒昇降口付近に掲示しました!

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 去る10月23日(日)に行われた<あすなろ祭>で展示された文化部の作品『ちぎり絵』は、文化部の子どもたちが色紙を細かくちぎって貼り付けて制作したとても素晴らしい作品でした。
 文化部が作成した素晴らしい作品『ちぎり絵』をできるだけ多くの人にご覧いただくために、生徒昇降口付近の壁に職員の手作りの額に入れて掲示しました。
 学校にお越しの際は、ぜひご覧いただきたいと思います。

【豆知識】11月15日は「七五三」です

 「七五三」は、1681(天和元)年のこの日、館林城主、徳川徳松の健康を祈って始まったとされる説が有力です。
 男の子は数えで3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年に、成長を祝って社寺に参詣します。3歳は髪を伸ばす「髪直」、5歳は初めて袴をつける「袴着」、7歳は本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする「帯解」をそれぞれ祝う意味があります。
 旧暦11月はその年の実りを神に感謝する月であり、旧暦15日は二十八宿で「何事をするにも吉」とされる鬼宿日に当たったことから11月15日に行われるようになりました。

学校だより「おばま」第39号を発行

 本日、学校だより「おばま」第39号を発行いたしました。
 記事の内容は、『「戒石銘顕彰」に関する作文コンクール表彰式』で前田かやのさん(2年生)が☆最優秀賞☆を受賞したことについてです。
 詳細につきましては、トップページの右側の『配布文書一覧』をご覧ください。

全学年の無遅刻記録更新中!(笑顔)

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 全学年で無遅刻運動を実施していて、無遅刻記録は今日も継続中です。
 本日で、第1学年は◇122日◇(2011年4月6日スタート)、第2学年は◇139日◇(2011年2月9日スタート)、第3学年は☆516日☆(2009年4月7日スタート)となっております。
 全学年の記録更新に大いに期待したいと思います。(期待)(笑顔)

万人子守地蔵尊の深紅の「もみじ」

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 先日、学校近くの万人子守地蔵尊で、3学年の希望する子どもたちと保護者が合格祈願祭を行いましたが、その万人子守地蔵尊の「紅葉(もみじ)」が深紅となりとてもきれいです。(笑顔)

マスク・帽子の着用率100%!(笑顔)

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本校では、子どもたちの放射性物質による内部被ばくをできるだけ軽減するために、マスク・帽子の着用を励行しています。
 本日もマスク・帽子の着用率が100%でした。(笑顔)
 今後も子どもたちの安全安心のために、マスク・帽子の着用を励行するよう指導していきたいと思います。

「戒石銘顕彰」に関する作文コンクール表彰式で☆最優秀賞☆を受賞した作品「感謝」〜前田かやのさん(2年生)

 本日の『第20回「戒石銘顕彰」に関する作文コンクール表彰式』で☆最優秀賞☆を受賞した、前田かやのさん(2年生)の作品「感謝」を下記に掲載しますので、ぜひ一読いただきたいと思います。
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   感謝
                  小浜中学校 2年 前田かやの
 私たちのまち、二本松。深い歴史を持つまち、二本松。そんな二本松に、今なお語り継がれている、戒石銘。二本松の象徴ともいえる二本松城にある自然石に刻まれた、四句十六字の教え。
 「お前の給料は、民の汗と脂の結晶である。民に対し、感謝し、いたわらなければならない。この気持ちを忘れて弱い民たちを虐げたりすると、きっと天罰があたるだろう。」
 戒石銘の起源は、中国にある。日本でいう平安時代中ごろに中国で誕生した後、日本に伝えられたのだそうだ。戒石銘の教えが千年以上も前から伝えられてきたものだと知らなかった私の心は今、驚きと歓喜に溢れている。
 そんな戒石銘は、当時の人々にとって、一体どのような存在だったのだろうか。きっと多くの武士に衝撃を与えたことだろう。農民たちは、戒石銘に対し、感謝したに違いない。
 しかし、事件が起こった。藩政の改革に当たった岩井田昨非の改革に反対する人々が、「下民はあざむきやすい。しいたげて脂をしぼれ、そして汝らの禄とせよ。」と教え込んだのだ。戒石銘の誤解を利用し、昨非を落とし入れようとしたこの騒動は、本当に辛く悲しいことだっただろう。
 当時の二本松藩士の心を奮い立たせた、この戒石銘の教え。私も同じように、深く感動した。戒石銘のことは、もともと知ってはいたが、意味などについてはあまり考えたことはなかった。
 感謝の気持ちを忘れてはいけない。戒石銘は、そんなことを私に教えてくれている気がした。そして、このことについて、私は深く考えさせられた。
 今の日本人は、感謝の気持ちが足りない。そして、その意を示そうとしない。私は、この戒石銘の教えを読んで、そのように思えるようになってきた。両親や家族、友達に、学校の先生方。こうして健康に生活していること。食べ物に不自由なく暮らしていること・・・。全てのことにおいて、私たち日本人は、この戒石銘の教えとは、はるかにかけ離れていることに気づいた。
 戒石銘から読み取れる、感謝の気持ちを持て、という教え。そんな、単純で簡単なことを私たちは忘れてしまっている。世界中にはいろいろな人がいる。目の不自由な人、戦争で家族を失った人。食べる物がない、生活していくのがやっとである、そんな人も中にはいるだろう。それに比べ、私たちは幸せである。何不自由なく生活を送ることができる私たちにとって、「感謝の気持ち」というものは、つい欠けてしまいがちなものなのではないだろうか。私たちの生活の基準を示すものとして、この戒石銘の教えとは、最も適しているものであると私は思う。戒石銘について、もっとたくさんの人に知ってもらいたい。そして、私が感動したように「感謝の気持ち」について、深く考えてみてほしい。それが、私の願いだ。
 戒石銘。それは、幅約五メートルの自然石に刻まれた、四句十六字の教え。藩士の戒めとするために刻まれた戒石銘。そこには、私たちがつい忘れてしまいがちな、あることについて示してある。それは、今も昔も決して変わることのない、「感謝の気持ち」を持つということ。そして、それを忘れないこと。
 私たちは、これから中学を卒業した後、高校、大学へと進み、成人となる。今、大人への階段を登っている真っ最中なのだ。これからの人生、きっといろいろな壁にぶつかることもあるだろう。辛いこと、悲しいこと、悔しいこと・・・。そんな時、ふと思い出してみる。戒石銘の教えについて。自分の掴んだ幸せは他人の支えがあってこそのものなのだと。
 私は、これからも「感謝の気持ち」というものを心に抱き、前に進んで行きたい。これから待つ、未来に向かって。
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感嘆符 「戒石銘顕彰」に関する作文コンクール表彰式で前田かやのさん(2年生)が☆最優秀賞☆を受賞!

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 本日15:30〜、市役所正庁に於いて『第20回「戒石銘表彰」に関する作文コンクール表彰式』が開催され、本校の前田かやのさん(2年生)が☆最優秀賞☆を受賞しました。二本松市長様から賞状と盾を授与された後、自分の作品「感謝」を朗読しました。素晴らしい作品朗読でした。
 他に、内池未来さん(2年生)の作品「感謝の気持ち」と菅野芽依さん(2年生)の作品「感謝を込めて」が入選しました。
 おめでとうございます!(拍手)(笑顔)

※「戒石銘」について
 二本松藩の歴史に戒石銘碑があります。これは六代藩主丹羽高庸が、霞ヶ城東側の藩庁前の花崗岩の大石に刻ませたものです。次のような四句十六字の漢文が刻まれています。

 爾俸爾禄 
 民膏民脂 
 下民易虐 
 上天難欺 
  寛延己巳之年春三月

意味は「お前達武士の俸給は、民が脂して働いた賜物より得ているのである。お前は民に感謝し、いたわらねばならない。この気持ちを忘れて民を虐げたりすると、きっと天罰があろうぞ。」で、藩庁に出仕する藩士を戒め、その後の二本松藩士の士風を形成させたものです。
 現代にも通じる言葉だと思います!

【豆知識】11月14日は「ネリー・ブライが『80日間世界一周』に挑戦した日」です

 1889年のこの日、アメリカのジャーナリスト、ネリー・ブライが『80日間世界一周』に挑戦するため、ニューヨークを出発しました。24,899マイルの旅を72日6時間11分14秒で達成しました。彼女は、イギリスだけでなく、日本、中国、香港、ブリンディジ、コロンボ、サンフランシスコなどを訪れました。

学校だより「おばま」第38号を発行

 本日、学校だより「おばま」第38号を発行いたしました。
 記事の内容は、11日(金)に行われた『歯磨き教室事後指導(個別指導)』と13日(日)に二本松市民会館で開催された『二本松市民音楽フェスティバル』への◇吹奏楽部の参加◇についてです。
 詳細につきましては、トップページの右側の『配布文書一覧』をご覧ください。
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学校行事
4/2 着任、職員会議
4/5 式場作成
4/6 着任式・始業式・入学式
PTA行事
4/6 新入生保護者会、PTA役員会・引継会
その他
3/31 学年末休業日
4/1 学年始休業日
4/2 学年始休業日
4/3 学年始休業日
4/4 学年始休業日
4/5 学年始休業日(最終日)
4/6 春の交通安全運動

学校だより「おばま」

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